新約:あいかさんの沼道。

もう30代も折り返し。時は満ちた。

福岡に里帰りした話。

おはようからこんばんは。

暮らしに夢を広げている、あいかさんです。

 

少し前の記事で、9月いっぱい無職になった話に触れていたと思う。

無職=時間だけはある。

社会に出てから十数年、1ヶ月も休みがあった事がなくて、どうやって時間を潰そうかといった感じ。

家の掃除をしてみたり、ゲームしたり、写真撮って遊んだり、ブログ書いたり。

少し遅めの時間に起きて、お気に入りの音楽(最近はa-haLean)を聴きながらブログを書いたり、ネットサーフィンする。

そんな優雅な暮らしに少しづつ飽きてきて、少し遠出したいなぁと思ったり。

都合がいい事に妻も3連休が取れたので、それなら里帰りしようかなと思って福岡まで行ってきた。

 

今回は写真多めです。

内容は自分語り多めのとりとめもない内容です。

 

僕にとっての福岡。

生まれてから28年間、ずっと福岡で育ってきた。

福岡の中で福岡市や北九州市で住居を行き来しつつ。

出張で半年だけ県外(岡山県倉敷市)で生活したくらいのもので、それ以外はずっと福岡で生活していた。

28歳の夏、今の住居である広島に転勤でやってきた。

広島はいいところで、観光資源も豊富。

もう行き尽くしたんじゃないか?ってくらいあちこち回った。

そして広島県内を行き尽くしたと思った時に、ふと思った。

 

僕は、生まれ育った福岡を全然味わい尽くしてないんじゃないか?

 

生活する場所と観光する場所って違うと思う。

住んでいる時はいつでも行けるからと、結局言ってなかった観光地やスポットが沢山あるんじゃないか。

じゃあなぜ広島ではあちこち行ったのか。

転勤というのは特殊な状況だと思うんだ。

ある日、生まれ育った場所からまったく見知らぬ街で働けと言われる。

見知らぬ街で生活していくには、その街に深く入り込んでいかないといけない。

深く入り込む為には、その土地の人が誇る観光地を回らなければならないと思う。

そしてその土地の人とよくコミュニケーションをとる。

そうこうしている内に、着任したばかりの頃の、どこに行っても新鮮に感じる「他人の街」から、広島という土地が「自分の街」になっていった。

 

反対に、そんな「自分の街」だった福岡が、広島で生きていくうちに、「他人の街」になっていた。

もう生活する為の土地じゃなくて、観光する為の土地へと変化していた。

あくまでも自分の中でだけれど。

 

他人の街になったからこそ、客観的に見ることが出来る。

住んでいた当時を行くこともなかったような場所に行ってみよう。

そう思って行った場所は以下の通り。

 

南蔵院

篠栗九大の森

住吉神社

・ベイサイドプレイス

宮地嶽神社

 

それでは各観光地で撮った写真をどうぞ。

観光地の解説は特にしないので、気になる方は調べてみてほしい。

 

南蔵院の写真

f:id:aikanumadou:20200915120437j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915120521j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915120554j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915120628j:plain

 

篠栗九大の森の写真

f:id:aikanumadou:20200915120656j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915120726j:plain

 

住吉神社の写真

f:id:aikanumadou:20200915120822j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915120926j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915120954j:plain

 

ベイサイドプレイスの写真

f:id:aikanumadou:20200915121031j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915121111j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915121139j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915121201j:plain

 

宮地嶽神社の写真

f:id:aikanumadou:20200915121256j:plain

f:id:aikanumadou:20200915121323j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915121358j:plain

 

f:id:aikanumadou:20200915121423j:plain

 

なぜ白黒写真なのか。

写真は自分の心象風景を反映させるものだと思う。

もちろんカラーでも撮った。

撮ったけれど、何か違うように感じた。

久しぶりの福岡は、やはり他人の街のように感じて新鮮だった。

この新鮮さはカラーで表現するべきなのかもしれない。

けれど、僕にとっては福岡はふるさと。

新鮮さよりも懐かしさが勝った。

福岡に住んでた頃は、行った事もなかった観光地なのに。

新鮮さと懐かしさ。

複雑に絡まって、なんとも表現しにくい気持ち。

そんな僕の気持ちからか、モノクロ写真が撮ってて心地よかった。

思い出は綺麗に残さなければならない。

それは分かってる。

福岡が好きだ。

けれど、僕の生活の拠点はもはや広島なのだ。

福岡で生きることは今のところできない。

だから思い出を綺麗にしすぎると、望郷の念が出すぎて辛い。

そんな気持ちだったのかもしれない。

モノクロ写真は、そんな心情にぴたりとハマった気がする。

 

本当にとりとめのない話をしてしまって申し訳ない。

どうしても写真と共に、今のこの気持ちを吐き出したかった。

 

それでは、また。