新約:あいかさんの沼道。

もう30代も折り返し。時は満ちた。

新型コロナウィルス感染症に感染した話。

感染するまでの話。

GWが明けてしばらく経ったある日の午後。

休暇中の私の携帯に、上司から電話がかかってきた。

 

社内からコロナが出た。

今のところ、濃厚接触者はいない。

 

とうとう出たか。

一番最初に頭に浮かんだ言葉だ。

私が住んでいる広島県も、GW前後で感染者数が増えていた。

緊急事態宣言をするか、しないかの瀬戸際の状態でGWを迎え、結果として特に対策をしないままGWが過ぎ去ってしまった。

日に日に増えていく感染者数。

どこか対岸の火事のように感じていたが、いよいよ他人事じゃなくなってきた。

詳しい話を聞くと、会社で最初の感染者の人は、GW中に関西の人と会食。

GW明けに会食した関西の人の陽性が発覚。

濃厚接触者という事で自身もPCRを受けたら陽性だった。

そしてそれが発覚するまでの間に既に2回出勤していた。

 

後はもう想像通りだ。

日に日に増える社内の陽性者。

完全にクラスターだと思うが、保健所はクラスターと認定しなかったようだ。

 

地場の企業というのは、国が想像している以上にテレワークが進んでいないと思っていい。

かくいう私の所属する会社もそうだった。

昨年のコロナ騒動でテレワーク化を推進しようとしていたが、予算の都合で進まないまま、感染の波が来てしまった。

そして、会社自体も感染者を出してしまった負い目からか、そこからは非常にスピーディにテレワーク化が進んだ。

私は曲がりなりにも管理者の一角だったので、一刻も早くテレワーク化を進めるべく、日に日に増える感染者数に恐怖を覚えながら、なんとか出勤して会社を支えていた。

 

広島には、街中に数ヶ所無料でPCR検査を受けられる場所がある。

抗原検査で陰性だったので多少安心していたが、PCR検査の方が感知率が高いと聞き、PCR検査も受ける事にした。

ドライブスルーで検査キットを受け取り、唾液を溜めて検査に出す。

2日後に陽性者には連絡が行くという仕組みだ。

 

その時の検査結果は陰性。

 

ひどく安堵した事を覚えている。

後から考えると、偽陰性だったのだが。

ここから、長く暗い闘病生活が始まる。

 

発症当日

PCR検査の結果、陰性だった事により、かりそめの安堵を享受しながらも、体は少し異変を感じ始めていた。

 発熱自体はしていないが、熱っぽいというか、節々が痛い。

 陰性だったし、季節外れの風邪か?と思いつつ市販薬を飲み、睡眠。

 

発症から2日目

検温すると37.5℃。

完全に風邪の諸症状が出始める。

発熱、悪寒、関節痛、食欲不振。

咳で体力を奪われていないだけマシか。

買い物に行こうにも、少し歩くだけでしんどく、諦める。

なんとか市販薬を飲み、症状が多少落ち着いた為、睡眠。

 

発症から3日目

検温すると38.8℃。

全身の倦怠感が追加される。

流石に悪い予感しかしない。

念のために県のコールセンターに相談。

病院を紹介され、受診。

すぐにPCR検査を受ける。

現状だと解熱剤(カロナール)しか処方出来ないと言われ、了承し処方された薬を飲む。

 

発症から4日目

解熱剤が効いているのか、体温は37.0℃。

そしてPCR検査の結果が返ってくる。

陽性。

 

残念ながら、陽性でした。

保健所からの連絡を待って下さい。

 

うん、知ってた。

これで陽性じゃなかったら、ここ数日の発熱はなんだったんだという話になる。

そして、保健所からの連絡がとても遅い。

朝9時に陽性連絡があったのに、電話がかかってきたのは14時半。

しかも調査のみの連絡。

この電話で一応、自分の発症日を確定された。

一緒に住んでる妻の事もあり、多少なりとも今後の指針は出して欲しかった。

出して欲しかったが、その日のうちに連絡は来ず。

この日は熱の上がり下がりが最も大きく、楽な時間と苦しい時間の差が激しかった。

そして咳も少しずつ出始める。

 

(完全な独り言)

1時間も調査とは名ばかりの聞き取りに時間をかけてたら、肝心の今後の指針についての電話が当日中に出来ないのも頷ける。

この行動履歴の調査というのは、日本だけしかやっておらず、世界中から疑問視されている。

この行動履歴の調査で、感染が未然に防げたりする訳でもないし、PCR検査を優先して受けさせて貰ったという話も聞かない。

すぐに入院や、ホテルなどの入所に誘導すると病院や施設が圧迫されるから、問題の先延ばしをしているようにしか感じられない。

 

発症から5日目

朝の体温は39℃。

深夜から解熱剤が効かなくなり、苦しむ。

起きてからも39℃と38℃を繰り返す。

あまりの苦しさに救急車を呼ぶ事を考える。

ただ、断られたらどうしよう、そんな不安もあった。

#7119に事前に相談し、この場合救急車呼んでいいのかを相談し、了承を得る。

救急隊の方にご迷惑をおかけしないよう、自力でマンションの1Fまでいく。

受け入れのできる病院が車で1時間程かかる病院であるという事が判明。

なんとかこの状態を脱したいので了承。

長い道のりを救急車の中で揺られながら行く。

到着し、すぐにCTを撮る。

 

「肺炎の症状がないので、入院していただく必要はありませんね」

 

点滴や何か治療等はしなくていいんですか?

 

「もうお熱も下がってるみたいだし、必要ないと思います」

 

その一言と共に、炎天下のテントの中に閉じ込められる。

院内に陽性者を簡単に入れるわけにはいけないからだろうが、なんせ暑かった。

お陰で、病院に着いた時の熱は37.5℃だったのに、テントから出てホテルに着いて検温したら38.9℃まで上がっていたのだ。

 

私は入院が必要か否かの判断をされる為だけに、片道1時間の病院に連れてこられたという事になる。

薬の処方に関しても、ホテル療養されるのであれば、ホテルに準備がありますからとかわされる。

ちなみにホテルに準備されていた薬は、処方箋の薬ではなく市販薬だった。

ホテルに到着し、残り少ない解熱剤を飲む。

解熱剤が今までで1番効いたんじゃないかという位に効き、一気に楽になり、そのまま眠る。

 

発症から6日目

深夜2時、発熱の為目が覚める。

39℃だ。

薬を飲むかで悩むが、背に腹は変えられまいと飲む。

たまたま妻が起きており、LINEをくれた。

こんな時に、支えてくれる人がいるというありがたみをしみじみと感じた。

気持ちも楽になり、再び睡眠。

目が覚め、体温を測ると36.8℃!

とうとうピークを超えたか!

と期待するも、そうは問屋が卸さない。

案の定深夜に飲んでた解熱剤が効いてただけで、再び39℃まで上昇。

ホテルの看護師さんが流石に心配したのか医師に相談し、明日、病院に行く事になった。

今度は治療してくれたら良いが。

 

(ホテルについて)

自治体が契約している、コロナ療養用の施設で、無料。

3食昼寝付き。

保健所の指示があった場合のみ利用可能。

生活していく上で困らないよう配慮されているが、一点だけ注意点がある。

消耗品類は持ち込む必要があるという事だ。

下着や服は当たり前として、タオル類も感染拡大の観点から準備されていない。

しかも、差し入れも時間が決まっており、あらかじめ準備しておかないと大変な事になる。

私は病院から直送で何も準備しておらず、初日は手すら洗えなかった!

 

発症から7日目

昨日同様深夜2時に目が覚める。

今度は腹痛と共に。

飲み物よりもまずトイレに駆け込むも、途中で呼吸が苦しくなり喉が渇きはじめる。

一気に室温が下がった感覚になり、それと共に滝のような汗。

なんとかトイレから脱出し、水分補給。

少し落ち着き、薬を飲む。

このラックルという市販薬、カロナールと同じ成分ではあるのだが、いかんせん飲みにくい。

一粒が大きく、溶かして飲まないといけない為、時間がかかる。

余計な水分を使ってしまう。

薬も飲んだ事だし、一眠りする事に。

ここからは眠りが浅く、1.2時間おきに目が覚める始末であった。

翌朝起きて体温を測ると、37.7℃まで下がっていた。

ただ、食欲はなくサンドイッチ1枚でギブアップ。

看護師より電話が入り、本日の病院が決まったとの事。

それがなんと、前回いった病院と同じ。

嫌な予感しかしない。

結果から言う。

軽度の肺炎ではあるが入院も治療も必要ない。

という事だった。

そしてまた検査までの間の1時間を車の中で待機させられる。

この車の中も空調が弱く、熱中症になりかけるレベルだった。

事実、病院にいく前と後では、体温が2℃近く違っていた。

もう1人の患者さんは、私よりも進んだ肺炎だったようだが、入院する必要ないと言われて、唖然としていた。

結構進んだ肺炎なのに、入院しなくていいんですか?

はい、大丈夫です。苦しくなったいつでも言ってください。

そんなやりとりを見ながら、あー、この病院は、本当に生きるか死ぬかのレベルじゃないと入院させないんだなと思った。

そして、近所にはコロナ受け入れをしている大病院が2.3個あるが、1時間もかかるこの病院を使わないといけないくらい、病床が圧迫されているのか、とも。

 

発症から8日目

いつものように2時前後に39℃の熱と共に目が覚める。

最近は睡眠すらまともに取れていない気がする。

大抵の人が発症から7日前後で症状が落ち着くと聞いていただけに、ガッカリする。

カロナールの効きが悪くなってきている気がする。

21時頃、突如苦しくなり体温を測る。

39.8℃、血中酸素濃度92%これは相当まずいんじゃないか。

怖くなりすぐに相談するも、薬を飲んで安静にしろとのみ。

なにも信用できない、本当に。

 

発症から9日目

最近のルーティンと同じく、2時頃に目が覚めまたしても体温が39.2℃とかの高熱になっている。

これは本当に治るんだろうか、自分は生きて帰れるのか、最近はこの事ばかりが頭の中を占めている。

昨日妻と電話をする際に、「いつ死ぬか分からないから、毎日声を聞こうと思う」と伝えていた。

そして妻はその言葉にショック受けて、大泣きしてしまってたらしい。

自分よりきつい症状の人がいるのに、自分が暗くなっていてはダメだ。明るく過ごそうと思ったと。

私はその話を聞いて、逆に泣いた。

周りを気にせず。

どれだけ妻に甘えていたんだろう、妻だって不安のはずなのに、自分の辛さだけを押し付けてきていた。

電話をしながら、これから絶対治すんだ、回復するんだ、というポジティブな気持ちで頑張ろうと誓い合ったのだった。

 

そして、病院に行く事が確定。

前回と同じ場所、時間でだ。

聞き齧ったニュースとかの知識でモノを言うのは嫌いだが、この時点で私は中等症になっていたと思う。

そして、結果は3度目の入院却下。

いったいなんなんだ。

問診すらされない。

一緒にいた人は数字が悪かったのか入院となっていた。

暗い気持ちのまま帰途につき、体温が上がり始めたのを確認。

ホテルに帰りつくと、すぐに医療班から電話がかかってくる。

酸素吸入使いましょうという事だった。

この酸素吸入器というのはすごい。

目の奥の痺れ、それに伴う頭痛等は一気に消える。

少し楽になったタイミングで、医療班に聞いてみる。

私の今の症状は国がガイドラインで指定している中等症に該当すると思います。中等症は即入院と書いてあるのに私が3回も入院を断られたのは何でですか?

返ってきたの想像を絶するものだった。

・広島はもう既に医療崩壊を起こしている。

・今の状態だと重症者しか入院できないたころばかり。

・あなたは実際に中等症だから、即入院が必要。けれど今はそれが出来ない。

……なるほど。

そして空きが出たらすぐに入院できるよう、常に病院を探してくれているとの事。

これだけは朗報だ。

 

発症から10日後

一転して、違う病院が自分を受け入れてくれる事になった。

午後から移動となる。

電話をかけてきた医療班の声も明るかった。

良かったですね、安心ですね。

この医療班の方ともかれこれ1週間の付き合いだったが、こんな明るい声も出せる人だったんだなぁ。

お世話になりました、しっかり治してきますとお伝えし、ホテルを辞する。

用意されていた車に乗り込み、病院へ向かう。

病院に着くと裏口から少人数の看護師さんがいらっしゃって、個室へと案内される。

そこから入院中の過ごし方などのレクチャーを受ける。

私は人生で一度も入院したことが無かったので驚く事がいっぱいだった。

そして肝心の治療内容の説明をうけ、同意書にサインをする。

これから治療が始まる。

まずはレムデシビル。

トランプ元大統領がコロナになった際使ったとされる抗ウィルス薬だ。

これを数日点滴投与すると、高熱も出にくくなるそうだ。

そしてデキサメタゾン

これはステロイド剤の一種で、レムデシビルとセットで飲むようだ。

今日は色々あったが安心できたのか、そろそろ眠る。

 

発症から11日後

04:30に起床!

体温は36.2℃!

点滴変えたりで目は覚めたりしたが、とてもすっきりと目が覚めた。

こんなに清々しい朝はいつぶりだろう。

環境が変わると人間が変わるというのは本当だ。

自分がこれまで享受してきた安心感というのは、どれだけ得難いものだったのだろうと思う。

1日の流れとしては、何度か点滴を変える、薬を飲む、食事をする、以外は本当に自由だ。

部屋の外にさえ出なければ何をしてても構わない。

私はひながネットサーフィンか動画を見るようにしていた。(仕事したかったが、上司が許してくれなかった)。

私の身体の変化というと…熱が36℃台まで下がった事(最終的には37.5℃)、発熱によるダメージが軽減されたの大きい。

だがそれ以上に、肺炎のダメージがドデカすきだ。

少しの移動でもぜぇぜぇ、シャワー浴びるのも一苦労。

そして昨日まで、2Lにしていた酸素吸入量を1Lに変えたのが、またそれも大変で、息苦しさに原因に。

でもそれもこれも全てはきちんと治すため。

ちゃんと指示に従い、治療に向き合っていく。

 

発症から12日後

体温は完全に下がり36℃!

息苦しさはあるものの、そこ以外の部分が一気に良くなってきた。

特に嬉しいのは、味覚。

入院する前後から変な味覚障害が起こっており、甘みを強く感じていた(緑茶なのに紅茶飲んでる感じになったり)。

それが今朝起きた感じだとどうだ!

全然大丈夫なのだ。お茶はお茶の味がする。

当たり前が当たり前で嬉しい。

 

発症から13日後

体温は35.8℃。完全に僕の平熱だ。

若干の息苦しさはあるものの、本当にそれ以外は快復の方向だ。

今日は胸部のレントゲンを撮り、肺炎の経過観察をする。果たして。

まだ肺炎の影もあるが回復傾向。

血液検査の結果からみても回復傾向とのこと。

ただし、まだ肺炎の影があるように、肺炎が消えたわけではないので、このまま治療を続ける必要がある。

 

発症から14日後

体温は36.2℃。平熱。

やはり息苦しさのみ残っており、それ以外は問題ない。

この息苦しさは肺炎の影響なんだろうが、この肺炎というのはいつ治るのか。

ちなみに今日で、点滴での治療は終了。

後は最低限の投薬で様子見だ。

 

発症から15日後

体温は36.2℃。平熱。

もはやすっかり見慣れた数字。

息苦しさもかなり緩和されてきた。

これは退院が近いんじゃないか。

 

発症から16日後

体温は昨日から変わりなしの36.2℃。

今日の検査結果次第で退院がグッと近づくと言う。

良い結果だといいが…!

 

発症から17日後

入院から丁度1週間。

晴れて今日退院だ!

早くても10日はかかる事が多いと言われていただけに、このペースで回復して退院できたのは本当に嬉しい。

費用に関しては、個室代も含めてお国持ち。

ありがたい。

自分でコンビニで買い出しをお願いしもの、診断書代などが実質の費用負担といったところか。

 

自分が感染して感じた事。

正直、感染する前も後も、会社で一番最初に感染して広めた奴をクビにしてやりたいとすら思ったていたし、現在もポジティブな自分を前面に出していないとその考えが自分を支配してしまう。

そりゃそうだろう。

私はこんな状況だから、大好きな飲み会にも行かず、去年のコロナ禍のせいで出来なかった帰省もせず、本当に良い子に、コロナ禍における模範的な国民であり続けたはずなのだ。

それなのに、一部の我慢の出来ない人間が会社で広めたせいで、想像以上の苦しみを味わったのだ。

だが…それでも…

人を憎んではいけないと思う自分もいる。

明日は我が身だから。

もしかしたら、通勤中に感染して、私が感染源になっていた可能性だってあるのだ。

その場合、責めようがないように思えるが、きっと人は責めてしまうと思うし、私も責めてしまうと思う。

それに、その感染源となった人は、いくらコロナ差別はやめようと言われていても、今後同僚からは自覚のない人という評価で生き続けないといけないのだ。

それだけで充分な罰だと思う。

 

最後に。

コロナに関わる全政治家へ。

あなた方の家族がコロナに罹患したとして、今の日本が安心して療養できる環境だと胸を張って言えますか?

無症状にしろ、有症状にしろ、コロナ罹患のショックはかなり大きい。

そんなショックの中、国が先導している全ての行動が遅すぎて、不安になっている人も多くいると思う。

自分はちゃんと治療してもらえるんだろうか、死んだりしないだろうか、そんな不安を解消するためにも、今の10倍以上のスピード感を持って欲しい。

 

コロナは症状は人それぞれだけれど、やはり苦しい。

こんな体験は二度とごめんだ。

今も隠れて飲みに行ったり風俗に行ったりしてる人、我慢という言葉を知れ。

自分の大切な人に感染させたり、がっかりさせたりする前に。

それでも、かかっても自分一人だし~とか、誰にも迷惑はかけてない~なんて身勝手理論を本気で振り翳すなら、あなたに人を愛する資格はない。一人で生きていくべきだ。

医療者だって人間だ。自業自得でコロナになるような人間を助けなければならない人たちの事を考えろ。

厳しい言い方をするが、それだけ厳しくて、辛い闘病生活になる人もいるのだ。

この記事が、今一度、自分の普段の過ごし方から身の回りの事を考え直して頂ける機会になると嬉しい。